宮田栄子 S46年卒 幹事長
「瑞浪駅周辺シャッター通りの想い出」を書かれた和田啓二さんは稲津小学校3年生からの幼なじみです。瑞浪の想い出を繋げたいと存じます。
私は瑞浪市明世町戸狩(水ノ木)に生まれ、小学校3年生の2学期まで瑞浪小学校に通いました。瑞浪駅から土岐市駅方面へ向かう最初の踏切近くに生まれ育ち、線路沿いの田んぼのあぜ道とれんげ畑が幼い頃の遊び場でした。
中央西線が電化されるずっと前のこと、昭和20年代終わりから30年代にかけての頃でまさにD51の時代です。蒸気機関車D51の汽笛とけむりを吐きながら走る姿は今でも忘れられません。D51が通るたびに乗客に手を振って応えてもらえると嬉しかったものです。またれんげ畑で花冠や花の首飾りを作って遊んでいるとヘリコプターから当時は宣伝のビラがまかれるのです。なんの広告だったのか記憶は無いのですが、両手を空に広げていました。
瑞浪小学校への通学路(まだアスファルトではない)は、荷馬車がまだ見かけられ大きな馬の糞を避けながら歩いたものです。そして瑞浪橋の下の川は真っ白でした。
陶・稲津・瑞浪の窯業が最も盛んな頃で、まだ小学校にプールの無い時代その真っ白な川で子供たちは泳ぎました。川から見た入道雲はひときわ大きく見えました。
「三種の神器」(冷蔵庫・テレビ・洗濯機)があまり普及されていない時代です。井戸水で冷やしたスイカ・きゅうり・トマトは美味しかったですね。
ハンドベルを鳴らしながら自転車でおじさんがアイスキャンディーを売りにくるのです。5円玉(10円玉?)を握りしめ走って買ったものです。
今から思えば不便で物の無い時代なのですが、心は満たされていたように思われます。戦後生まれなので、当然暮らしも落ち着いた頃で苦労などした記憶は無く、きっと両親は苦労して育ててくれたのでしょうが、家が貧しくても周りも皆同じような暮らしぶりだったので貧乏とは思っていませんでした。隣近所仲良く助け合いながら暮らしていたのでしょう。
昭和レトロが今、若者たちに人気なようですね。昭和レトロな街並みがオープンした西武園遊園地へ行ってみたいです。いい時代だったなと思います。
こんな感慨に耽る私も来年は古来稀なる年になってしまいます。
瑞浪高校を卒業し、ちょうど半世紀経ってしまいました。もうそんなに経ってしまったのかと驚愕します。
縁有って、この広い東京で瑞浪高校首都圏同窓会の下、今皆さんに出会えたことは大変幸せなことであり、改めて感謝申し上げます。
コロナ禍ですがコロナに負けないで、どうぞ皆さんお元気でお過ごしくださいませ。また同窓会でお元気な皆さまにお会いできることを切に願っております。
想い出話をバトンタッチしますので、どなたか続きをお願いします。