加藤 桂吾 (S46年卒) (副会長)
過日、当会報第33号にて同題目で出稿しましたが、今回はその第2弾です。
今現在私の住まいは、埼玉県さいたま市浦和区です。
この浦和という街、江戸時代末期に皇女和宮が京の都から地元東濃を経て徳川家に降嫁下向した『中山道』の宿場町(日本橋から数えて三番目)として栄え、また現代では埼玉県の県庁所在地でもあります。
当地の中心に位置するJR浦和駅周辺の有名所は、およそ2千年前第10代天皇崇神天皇の勅命により創建されたと謂われる『調宮(つきのみや)神社』と、平安時代空海が創建した古刹『玉蔵院』、そして『別所沼』等です。いつも地元の参拝客や散策する人たちが訪れる憩いの場となっており、私にとっても、それぞれ自宅からの散歩コースです。
江戸中期ごろからは、ウナギの蒲焼で有名になりました。一説ではウナギの蒲焼発祥の地が浦和だそうな。当時からの老舗が今でも営業しており、この別所沼でもたくさん採れたそうです。確かに浦和にはウナギ料理の専門店が多く、駅前にはウナギをキャラクター化した『うな子ちゃん』の石像があるくらいです。
大正時代には関東大震災にて都心が随分被害を受けた結果、当時の学者や文化人、芸術家が『別所沼』近辺に大挙移り住みました。以来浦和は文教地区として有名になったとか。
近年では、サッカーの盛んな街としても有名です。Jリーグ浦和レッズの本拠地でもあり、浦和駅からはちょっと遠いですが、サッカー競技専用の『埼玉スタジアム』があります。Jリーグの試合がある時は、浦和駅東口パルコ前から専用バスが発着し、駅前は浦和レッズの赤いユニフォームを着たファンでいっぱいになります。
1993年(平成5年)に海外赴任を終え日本に帰国し、ご縁あってこの街に居を定めました。帰国当日1月23日は、真冬の寒い最中でした。
JR浦和駅は列車で東京駅から上野駅乗り換え約30分弱の立地で、当時は東西二つの改札口がありました。その一つ西口には百貨店の伊勢丹、駅前ロータリーにはバス停が連なり、その先すぐには今も変わらず旧中山道が路線に並行して走っています。
これに対し東口は駅舎が木造。改札口は薄暗く、駅前も狭小。現在のようなロータリーもなく、これまた間口の狭い商店街が迫り、まだまだ昭和の面影が色濃く残っていました。今でこそ駅舎だけでなく駅周辺の再開発が進み大変な様変わりですが、ほんの100mも歩けば閑静な住宅街となり、今も変わらぬ端正な街並みが続きます。
現役時代毎日通っていた都心へは何かの機会があれば行き来しますが、最近はコロナ禍の最中でもあり、その機会もめっきり少なくなりました。
幸い、スマホやインターネットの普及もあり、自宅に籠っていても不便さはそれほどでもなく、静かではあっても孤立感はありません。
友人との語らいは、もっぱらスマホでの電話やネット上の各種メールを通じてです。
最近では、首都圏同窓会HP内に写真同好会のフォトギャラリーが開設され、それに合わせて第一回作品展を開催しました。たくさんの方々からの応募写真が集まることで、更に交流の輪も広がっています。
ゴルフはコロナ禍でメンバーは集まらず。多人数の飲み会はいまだに御法度!
専らネットサーフィンとDIY、そして読書と散歩。今や、家にて『日々是好日』の毎日。
既に経済人としては現役を引退し、『終の棲家』に妻と二人静かに暮らす街。
それが私の住む浦和!です。
故郷での18年間、大学から社会人数年間の東京、海外赴任時の15年間、そして現住まいの浦和。それぞれ全く異なる環境と趣の街々ですが、どこに暮らしたとしても『住めば都!』です。