人生は沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

  長谷川 周三 (S45年卒)  (副会長)

 瑞浪高校を卒業して50年。その間、日本道路公団に入社し、NEXCO中日本を経て今も某民間会社の相談役を勤めている。

 長いサラリーマン人生、思えば「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の繰り返しだった。

 関西支社広報課時代に、あるサービスエリア(SA)でお客様感謝デーと銘打ったイベントを開催した。赴任して間もなく準備期間が少なかったが、それでも人気上昇中の関西芸人「ますだおかだ」をMCに招いて、トークショーやお客様と景品付きクイズでステージを盛り上げた。しかしお客様の反応は今一つ。期待したほどの集客はなかった。

 当時の支社長からはイベントの企画内容が乏しいと、キツイお叱りを受けた。一年間周到な準備を重ね、翌年は道路公団関西支社、支社長表彰を受賞した。京都、奈良、兵庫など大阪近隣5県の観光課や観光協会とタイアップして、高速道路を使った観光キャンペーン「得得、高速の旅」を展開したことが功を奏し、期待以上のお客様が集まった。

 怪我の功名が良い結果を招き「浮かぶ瀬」を味わった。しかし、その逆もあった。

 東京広報部時代、新東名御殿場~三ケ日間が開通した。

 アップダウンが少なく緩やかな線形を実現した高規格ハイウエーと、斬新な装いで建設された新しいタイプのSAをマスコミに大々的に売り込んだ。

 開通前から新聞やテレビニュースで取り上げられ、開通したばかりの新東名は高速道路上もSAもお客様の車で溢れた。こうした社会現象を起こしたのは、広報部の努力の結果だと評価されNEXCO中日本、社長表彰を受賞した。それから暫らくして、中央道笹子トンネルで天井板崩落という大事故が起きた。

 9名もの尊い人命を奪い、NEXCO中日本の信頼は一気に失墜した。

 事故直後から連日、長時間にわたるマスコミの厳しい取材を受け、事故原因、復旧見通し、再発防止策、補償問題などで満足のいく回答が出来なかった日には、マスコミから顰蹙(ひんしゅく)を買い、時には罵倒された。

 この事故で、広報マンとして支えになってきたプライドが日に日に失われ、広報職を離れるきっかけとなった。

 現在、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、多くの人達がその脅威に怯えている。まさに「沈む瀬」だ。

 しかし、人類は過去、天然痘、ペスト、チフス、スペイン風邪など数多くの感染症のパンデミックを乗り越えてきた。それは治療方法の発見と、新薬の開発だった。

 来年早々、米国が10億本ものワクチンを提供すると報じているし、富士フイルムは新薬「アビガン」を国に許可申請した。

 近い将来、以前のように集い、歌い、口角泡を飛ばしながら話が出来る「浮かぶ瀬」が到来することを切に願う。それまでは感染しないよう、自己防衛に徹するしか術はない。