和田啓二 S46年卒
あれ、「どたや」のビルがない?と最近気づいた。瑞浪駅前正面にあった呉服屋さんのビルで、瑞浪駅出口の真正面、瑞浪駅を降り立つ人であれば殆どが眼にしただろうビル。少し前まで「祝〇〇高校〇〇部準優勝!」などの垂れ幕がにぎやかに下がっていた。店自体は続いていたかどうか定かでないが。このあとどうなるかわからないが、いまは空き地になっている。
私は瑞浪市稲津町出身で、幼少期は瑞浪駅付近は賑やかな都会、一番近い都会と思っていた。中学生のころだったか、瑞浪で初めてのショッピングセンター「ユニー西川屋」ができ、市内初めての中層ビルで、いろんな買い物ができワクワクしたものである。屋上には小さい遊園地もあって、1980年代には子供を遊ばせたこともある。そんなユニーも移転し、ピアゴに名前を変え、他の会社に吸収されてしまう。
高校時代には、駅までの歩く道が楽しみで、買い食いをしたり喫茶店によったり、駅の近くでたむろしたり、友達と語ったりしたものだ。ユニーの2階に喫茶店があって、そこで生まれて初めてスパゲッティなるものを食べた。卵敷き。こんなにうまいものがこの世にあったのかと驚いた。本屋も3件もあって、参考書を選んだり、文庫本を立ち読みしたりしたものだ。平凡パンチも立ち読みしたね。何と、映画館も2件あった。いまは、本屋も映画館も跡形もない。想い出は多過ぎて書ききれないが、皆さんにもいろんな場所にいろんな想い出が一杯あると思う。
私は、東京の大学を卒業後、名古屋本社の会社で働き、昨年まで東京に約20年単身赴任していた。都合約24、5年暮らしたことになる。大田区、渋谷区、豊島区、新宿区に住んだが、住民票は一度も移したことがない。住民票に関係なく東京で働いている人もオッケーということで首都圏同窓会の会員にならせていただいているが、働いてからずっと、ほぼ毎週・毎月・毎年瑞浪駅に降り立ってきた。そして、年々増えゆく閉店とシャッターの数。まさに諸行無常の響きあり。
シャッター商店街…、ご存知のように、首都圏などの人口集積地を除いて、全国の地方都市に行くと殆どの商店街がシャッター通りになっている。モータリゼーションが進み、車で行ける郊外店、ショッピングモールなどに店や人が集まり、駅周辺はどんどんすたれていく。人口減少地である瑞浪は、郊外さえどうなっていくかわからない。瑞浪市は、消えゆく市の候補になっている。
田舎の過疎化は資本主義の理といえばそれまでだけど、こうして街がすたれていくのは余りにも寂しい。哀しい。年齢を重ねる毎にそう思うことが多くなった気がする。この動きは止められないが、せめて想い出だけは鮮やかに留めておきたい。
笑いも涙も汗もしみ込んだ我ら青春の街。
想い出話をバトンタッチしますので、誰か続きをお願いします。